治療理念
わたしの治療家としての最大の理念があります。
わたし、いや恐らくは本当なら医療従事者の全てが持っているべき考え方だと思います。
治るのは患者自身の身体であり、治すのは自己免疫力、自然回復力など自ら身体を回復させようとする力。
わたしたちはそれがあらぬ方向へ行かないように、より回復力が増すようにとバランスをとり、導き後押しをするだけです。
もしあなたが、出会った治療家が自分が直してやる、なんてことを言うようなものであるなら用心するべきです。
新手の新興宗教ですよ、そいつはね。
わたしにはあなたを治せないけど、良くなるように導く手段と技術がありますから協力させてください。
これがわたしのやり方です。
治療家としてのキャリア3 独立
とある事件があり自分の中でパラダイムシフトが起こり15年間の病院勤務を終わらせたわけです。
わずかばかりの退職金と失業手当を元手に自分の治療院を開設するために動き出そうかと思いましたがそこで問題がありました。
長いこと病院と言う組織の中にいた弊害です。
病院と言うところはドクターがいて、看護師がいて、検査技師がいて放射線技術がいてまた医療事務やら経理やらがいて仕事を勧めているわけですよ。
自分がやっていたリハビリがどれほどの収入となるかはわかっていましたが、病院としての金銭の流れなんかしらないんですよね。
独立開業するっことはそれら全てを熟すって事でもあるわけです。
またリハビリとしての仕事はしてきましたが、治療はやってきていないんですよね。
そして学生時代の日銭バイトでやっていた自分自身のプロデュースやいかに金が稼げる、顧客満足度を上げる治療。
すっかり忘れてしまっていました。
こりゃ開業どころの話じゃない。
って事であらゆる面で自分の糧となるようなバイトを複数やりましたわ。
接骨院の雇われ院長をやったり、ホテルやサウナのマッサージに街のマッサージ店、にお世話になりつつ、医療事務、経営などの知識と実践をこなし時期をみていました。
平成14年の医療費、療養費の改定の時に今しかないと店を物色し始め埼玉県は川口市にはまだ鍼灸治療院を開設しました。
まあ場所はたまたま居抜き物件があったのと病院時代になかの良かった整形外科のドクターが川一つこえた板橋区にクリニックを開設していて協力依頼が出来たからそこにしたわけですよ。
仕事のスタイルは午前中に寝たきり患者の往診を保険適用でやり、午後は店で外来を受けるやり方。
外来も極力健康保険を適用し安い代金で沢山の患者さんに数多く来院してもらうやり方をしました。
平成14年の療養費改定ではそれまで一月の治療回数に制限があった鍼灸から回数制限が撤廃されました。
それが開業に踏み切ったきっかけです。
実際皆さん週に3回とか多い方なら毎日通ってくれましてなかなか上手いこといってたんですよ。
その川口の店を2011年の東日本大震災の後に閉める事にしました。
理由は店の入っていたビルのオーナーが建物の老朽化と年齢的理由からビルを取り壊すから退去してくれと言われたから。
移転費用をもらい近所に店を移す事も考えましたが、人生最後の悪ふざけがしたくなり一念発起、大阪へ移住する事にしました。
まあ大阪での仕事はヤクザなオーナーに振り回されていまひとつでしたが、民間の整体学校や鍼灸院さの臨時講師なんかをやりながら楽しく過ごしてました。
いや、どちらかと言えば音楽活動に力を入れてたかもしれません。
しかし現在も付き合いのある整体師の弟子を得たりとなかなか味のある時間でした。
四年前に父の死とセガレの大学進学を機に再び東京に戻り再度開業の準備をはじめました。
高井戸の高齢者介護施設、むかしお世話になったマッサージ店で人脈を作り昨年末ようやく阿佐ヶ谷にはまだ鍼灸院をかいせつしました。
まあ色々やってきたからか色々出来ますよ。
皆さんとりあえずどんな相談でもしてみてくださいな。
相談だけなら無料ですからね。
はまだ鍼灸院
店舗情報エキテン
https://www.ekiten.jp/shop_96295167/
はまだようYouTubeチャンネル
鍼灸駄話
https://youtube.com/channel/UCjKo-jMh1Tj7RiUGR8uU1_Q
https://youhamada.hatenablog.com/
治療家としてのキャリア2 病院におけるあはき師
今回から按摩マッサージ指圧師、鍼師、灸師を合わせて あはき師と呼称させていただきます。
1987年にあはき師免許を取得し学校を卒業するにあたり進路の方向性を迷っておりました。
サウナや雀荘、温泉マッサージで日銭を稼ぐ仕事を続けるのも悪くない。
しかしこれはその頃のアホみたいなバブル景気がいつまでも続くとは思えないので却下いたしました。
またはあと三年、夜学にでも通い柔道整復師の免許をとるのも考えました。
これはいわゆる骨つぎ、接骨院開業資格です。
この資格は独自に健康保険が扱えるのはので将来的に独立するには良いかとも思いました。
が、学校にかかる費用や学校が乱立しつつあり飽和状態になる日も近いと言う理由で却下しました。
事実現在、一つの街に片手では数えきれないほどの数の接骨院がある事を見ればお分かりいただけるかと思います。
あとはもう少し音楽を仕事としてやるなんてのもちらっと考えました。
当時、キャバレーの箱バンやちょっとしたレコーディングなどトラとして参加しても良い稼ぎになったのですが、またそう言うツテもありましたが、日銭マッサージと同じ理由で却下しました。
そんな時に知り合いの理学療法士からとある病院にリハビリを立ち上げるからやってくれと話を紹介されました。
とりあえずサラリーマンも安定してて悪くないかと話を受ける事にしました。
千葉県君津市小糸地区、鹿野山ふもとの田園風景が広がるだけの田舎町に移り住んで病院勤務を開始しました。
こここで約2年、のんびり仕事したんですが、あまりにのんびりしすぎて平和ボケしそうになりまして、後釜もきまりましたし都内に戻る事にしました。
平成元年より13年間、板橋区の脳神経外科、整形外科を中心に扱う病床数100ほどの中規模病院に勤務しました。
あの当時は病院における あはき師の求人てけっこうたくさんあったんですが、現在はほとんど無くなりました。
その理由は病院におけるリハビリの保険点数とそのシステムの諸々のせいなんですが、つまりはあはき師を雇っても金にならなくなったからなんですよ。
まあ北里大学研究所の東洋医学研究科や玉川病院の鍼灸科なんてイレギュラーはありますが、あれらは意味合い的には病院に併設された自費治療院みたいなものでふさら話が違ってきます。
まあそれはさておき、病院に在籍した事にはメリット、デメリットがありました。
メリットは一般の治療院ではおそらく見ることができないだろう様々な症例に関われた事です。
重度の整形外科疾患の術後リハビリ。
足や腕の切断面のケアや装具や義足などの使用に関する指導。
複数箇所同時骨折のリハビリのやり方。
脊髄損傷による半身麻痺。
失認、など高次脳機能障害。
昔は今みたいに仕事が細分化されてなかったので何でも我々がやったもんです。
デメリットは知識や技術経験として蓄積されはじめた頃に起こり始めました。
病院てえところはあくまでドクターが中心にいて我々はあくまでサポート役なんですよ。
また保険報酬の仕組みもそうできています。
例えば寝違いなんかで受診した場合、お金になるのは各種検査とドクターによる処置、そして投薬の処方代です。
急性機においてリハビリで金になる事は何もありません。
今ならちょいとした治療で改善させられるるさまざまな術式、技術は一線にもならない。
これは、けっこうキツイです。
給料もらうためにと割り切ればいいんでしょうが、自分のスキルが高くなればなるほどアホらしくなって当然ですよね。
で、ちょうど9.11あめりか同時多発テロの二週間後に15年間続いた病院勤務をおわりにしました。
あ、テロとは関係ないですからね。
わたし何もやってないですからね。
治療家としてのキャリア、学生編
おはようございます。
はまだ鍼灸院院長のはまだよう です。
本日はわたしのキャリアについてお話ししますね。
1984年に筑波大学附属網学校に入学し鍼灸マッサージを学び始めました。
仕事としてのキャリアのスタートは錦糸町のサウナでのマッサージからです。
まだ指もしっかり出来ていない時期でしたからね、一晩仕事に入ると翌朝は手が腫れてお箸も持てない程になりましたね。
この無茶な仕事が後々強揉み歓迎の謳い文句に繋がったんですかね。
まだ学生でしたから週末のみの深夜勤務で、ラウンジのテレビではオールナイトフジが流れてました。
平日は登場池袋4丁目の都電荒川線駅の裏手にあった雀荘に詰めてました。
ニヌケしたお客さんに10分千円で肩揉みしてましたね。
意外と食いつき良かったですよ。
1985年頃ですからもしかしたらグローバルスポーツさんがてもみんをはじめるより早くにクイックマッサージをしてたかもしれませんね。
人数調整で卓に混ざったりしてなかなかに楽しい仕事でした。
そして長期の休みになると伊豆下田の治療院にお世話になり住み込みで温泉あんまをしてました。
ホテルや別荘への出張施術です。
六畳間のタコ部屋でさまざまな場所から流れてきた同業者と雑魚寝し、またその日の稼ぎを握りしめて花札やチンチロリンに興じていましたよ。
バブルど真ん中でしたから景気良かったですよ。
朝一銭も持ってないのに夜には財布に数万円入ってましたからね。
正規の稼ぎ以外のチップもまた凄かったですね。
特に反社会的団体の方々は良いお客さんでした。
当時流に言うとヤの付く従業員のお兄いさんですね。
そんな学生時代だったもんで卒業後に病院に正規雇用された時の給料はなんとも寂しいものをかんじましたね。
と言う事で本日はさわりのみ学生時代のお話でした。
はまだ鍼灸院
杉並区阿佐ヶ谷南1~9-10
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