治療家としてのキャリア、学生編
おはようございます。
はまだ鍼灸院院長のはまだよう です。
本日はわたしのキャリアについてお話ししますね。
1984年に筑波大学附属網学校に入学し鍼灸マッサージを学び始めました。
仕事としてのキャリアのスタートは錦糸町のサウナでのマッサージからです。
まだ指もしっかり出来ていない時期でしたからね、一晩仕事に入ると翌朝は手が腫れてお箸も持てない程になりましたね。
この無茶な仕事が後々強揉み歓迎の謳い文句に繋がったんですかね。
まだ学生でしたから週末のみの深夜勤務で、ラウンジのテレビではオールナイトフジが流れてました。
平日は登場池袋4丁目の都電荒川線駅の裏手にあった雀荘に詰めてました。
ニヌケしたお客さんに10分千円で肩揉みしてましたね。
意外と食いつき良かったですよ。
1985年頃ですからもしかしたらグローバルスポーツさんがてもみんをはじめるより早くにクイックマッサージをしてたかもしれませんね。
人数調整で卓に混ざったりしてなかなかに楽しい仕事でした。
そして長期の休みになると伊豆下田の治療院にお世話になり住み込みで温泉あんまをしてました。
ホテルや別荘への出張施術です。
六畳間のタコ部屋でさまざまな場所から流れてきた同業者と雑魚寝し、またその日の稼ぎを握りしめて花札やチンチロリンに興じていましたよ。
バブルど真ん中でしたから景気良かったですよ。
朝一銭も持ってないのに夜には財布に数万円入ってましたからね。
正規の稼ぎ以外のチップもまた凄かったですね。
特に反社会的団体の方々は良いお客さんでした。
当時流に言うとヤの付く従業員のお兄いさんですね。
そんな学生時代だったもんで卒業後に病院に正規雇用された時の給料はなんとも寂しいものをかんじましたね。
と言う事で本日はさわりのみ学生時代のお話でした。
はまだ鍼灸院
杉並区阿佐ヶ谷南1~9-10
店舗情報